遺書

1冊まとめてエッセイにするのが夢です

完璧な人生を送れなくてつらいなあ…ということ

Hi😃

今までよく「死んでしまいたい」「今死んでもいいや」って思ってたんですけど、そう思うのがつらかったので色々調べて本をちょっと見てみました。

多分受け取り方が違ったんだなあと思う。私は「死んでしまいたい」と思うことによって、本当は「完璧な人生が送れなくてつらい」っていうメッセージを送ってたのかもしれない。

仕事でそそっかしくて、代理店さんに間違えて案内した → 毎回そそっかしいから注意しようと思っていたのにまた間違えた、なんて無能なんだろう死にたい

まぁこれは死にたいと思うかもしれないけど、他には

仲良い友達の七ちゃんがプロポーズされましたって結婚するらしい、私にはそんな話がないよな適性がないのかもしれない死にたい

これとかってさ、苦痛すぎて生きることが本当に辛くて死んでしまった方が楽だと思うってより、そこ悩む必要なくない?って所ですよね。

自分が悩む必要はない。

自分が思う完璧な人生って、26歳くらいで結婚して29歳くらいには子供を産んで、料理はまぁまぁ完璧に時短で美味しいものを作って掃除洗濯はまぁ適度に、そして子供にあふれんばかりの愛情を注いで愛して愛して、旦那にも優しくして仕事も正社員で続けて5時までに仕事を終わらせて帰って、綺麗な家で夜ご飯の支度をするの。で土日は主婦友とランチしたり一人で美容院行ったり服を買ったりして遊んだりするのかな、実際にはそんなこと出来るか分からないけどお洒落に過ごしたらすごいなと思うの。だから今一人暮らしをしていて、そのギャップを感じるたびにあぁ死にたいなーって思っていたのかもしれないな。毎日ご飯を作るのも堕落してご飯を炊かないし、野菜満点のご飯は食べていなくてなんか食べきれないから、なんかグチャグチャにして炒めてしまうよね。主婦の方のツイッターとかを見ていると子供の大変な様子とかが書かれてて、こんなんで私本当に愛せるんだろうか…?と疑問に思ったり。何もかもがうまくできない現状が現れてて、あーわたし何もできないんだな!って思って、明るい未来が見えていなかったのかもしれない。それは無理やりその現実から目を背けるんじゃなくて、今は別にできなくてもいいんだよwっていうことだったんだネ。

 

それともう一つ救われた言葉があって、

本当にそうだよなあと思って気持ちが楽になったよ。

 

は〜〜なんか感動した余韻で過保護のカホコとか観たいわ(´;ω;`)ミーティングの資料を作りつつ見てしまおうと思う。お風呂に入ってこよう。